読みにくい文章になってしまうたった1つの理由

私はつねづね読みにくい文章は良くないと思っていてそれはなんでかというとやはりその名の通り読みにくいからというのが挙げられるがその理由についてひとつひとつみていこうと思うとそれはやっぱりたくさんありすぎて書くことが大変だなぁと思ったり自分の文章能力ではとてもじゃないけど書くことなんてできないかもしれないなぁと少し心配になってきてけたけれどもたとえできないにせよできるにせよまずはやってみれば確実に進歩につながるし文章能力も上がるし言いたいことが言える能力も少しは上がると思うし何より書けないことでも書いているうちに段々と少しずつ言いたいことがまとまってくるような気がしてただそうは言ってもそれはいつも起きるわけではなく時と場合と書き方によってはせっかく書いたことも無駄になる可能性も否定できなくてとても残念なことなんだけれどそれでもやっぱり書くのは大事なことでそうこう言っている内に話が脱線してしまったので元の話に戻すとするとそれはやっぱり読みにくい文章は良くないということでそれはつまり長い文章だと私は思っていてなんでかというとやはり長い文章というのはそれだけで読むのに時間がかかるなぁという感じがして気後れしてしまうし何より活字アレルギーの人に長い文章というのはとってもハードルが高いものなのでそういう活字に慣れてない人を始めから切り捨ててしまうといのはもったいない気がするし活字アレルギーじゃなくて普段本を読んでいる人にとってもというより本を普段から読んでいる人ほど読むことに疲れきっていてそんな人にブログの中でも長くて読みにくい文章を読ませるというのはとても酷なものでやっぱりそんなことは曲がりなりにもブログを書こうとする人にとっては良くないことでやっぱり文章というのは読者あってのものなので読者にとって読みやすいように書く人は工夫しなければならないしそれこそ文章を書く人にとっての義務だと私は考えていてあっいま思いついたんだけど読みやすい文章はやっぱり短い文章だというような気がしてきたかもしれないなぁと思ったりするんだけどそれはなぜかというとまず短い文章というのは読みやすいからだと言おうと思ったがこれは循環論法になっていてよく学問をするときに戒められることなのでああやってしまったな自分は一体何を学んできたんだろうとすごく申し訳ない気持ちと恥ずかしい気持ちがいっぱいになってきてこれを書くのがつらいような気分になってくるからもうやめたいなぁなんて思いつつも一度始めてしまったこと投げ出すのは良くないことだし何より人間は失敗というものを必ずするもので大事なのは失敗することよりも失敗から何かを学ぶことであってこれは現代の日本だけにとどまらず古今東西の人にとって言えることでありその証拠を一つ示すとすればソレはやっぱりなんと言っても論語だと思うんだよなぁと思いついてそれは何故かと言うと論語は古代の中国の文章なので古代の文章にも書かれているしまして外国の本の中にも書かれているのはそれなりに意味あることでそれはそうと論語の話だけれど論語は過ちて改めざることこそ過ちであると説いていてきっとみんなも一度は聞いたことがあるのに忘れてしまったような言葉なんだと思うかもしれなくてそれはやっぱりこういう言葉に触れるのは国語の授業とか道徳の時間に習うことなのですごくつまらないことだしそもそもそういう授業を好き好んでやるような先生というのは大概話がつまらないと相場が決まっておりだからこそみんなも聞きたがらないしこの文章のテーマであり読みにくい文章というのをまさに体現しているのがこうした先生なので今思いついたのだけれどこういう人たちの話しぶりをよく研究すれば読みにくい文章が明らかになるかもしれないと閃いたので早速それにかかっていこうと思うんだけれどそれはなぜかというとすぐにこういう良いことはすぐに始めてしまわないとすぐ忘れてしまうもので現にこれまでも私はたくさんの良いアイデアを思いついたことがあるのに綺麗さっぱり忘れてしまい本当に本当にとても後悔しているものでだってそれらをちゃんと書き残していればもっとたくさんの文章を書くことができてブログにももっとたくさんの文章をアップできて読者もそういう文章だからこそ読んでくれてやっぱり良い文章を読んでもらえるというのは読み手にとっても書き手にとっても良いことなのでウィンウィンな関係になれて対等な関係性が担保されてとても嬉しいことだしだからこそ書き手にとっても張り合いができてますます良い文章と読みやすい文章を書こうというモチベーションが出来てきてそうやって良い文章を書こうとしているうちに本当に良い文章が書けちゃったりしてそれは読者にとってもすごく良いことでなぜなら読者というのは自覚的であれ無自覚であれ読みやすい文章というものを欲していてそれは読者とか書き手とかに関わらず人類一般とかもっと普遍的な人間が持つ共通の性質でありそれはやはり古今東西に限らないまるで物理法則のようなものなのでいやそれだからこそ古今東西の賢者達がいろんな文章で書いていることからもわかるようにさっき私が言っていた論語の話もそういう文脈から語られるということが今読者の方にもはっきりとわかったと思うのでこの文章にも説得力が出てきて私としてはとても嬉しくまた少しだけ恥ずかしい気もしていてなんでかっていうと私なんかが文章のことについて書くのはなんだかおこがましい感じがするしいっぱしの物書き気取りにでもなったかのような感じだからでありそれでも勇気を振り絞って言うならやはり読みにくい文章というのは長い上に何を言っているかもわからないような冗長で意味不明の羅列のようなものを指しそういう文章というのは長いだけでなくたとえ何回も読み直しても全然よくわからなくてせっかく読んだというのに読んだ意味が見いだせずその上ただ疲れるだけという何とも悲しい結果になりがちなものでそれは読み手にとって残念なだけでなく書き手の側に立ってみたとしても自分の意図して書いたことが相手に伝わらないわけだから骨折り損という他なくこれは誰も得をしない空しきゲームになり果てそれでもまぁどちらかが得をしてどちらかが損をするゼロサムゲームではないのだからある意味でウィンウィンの関係じゃないかという指摘もあり得るがそうは言ってもどちらも損をしているのだからそもそもそんなゲームをするべきではないというのが正解でありどだいそんな文章を書くのだったらそもそも書かない方がマシでそうすれば誰の労力も時間も奪うことがなくてみんな幸せになれるとそんな風に考える今日この頃だけれどもでも無意味な文章といえどもやはり書くことによって少しばかり文章能力は上達するものでいやそんなことよりこの文章が段々読みにくくなっていると今この記事を読んでいるみなさんももしかしたら感じるかもしれないがもしそうだとしたらとても申し訳なく感じるし土下座をして謝らなきゃいけないなぁという考えが段々首をもたげてきてがだからこそ読みにくい文章はどういうことなのかをちゃんと明らかにしなければならないわけでそれはつまりどういうことかというとまず第一に長いというのが挙げられて長い文章というのはどういうことかというとつまりこんな文章のことです。