だいたい日刊 覇権村

実益のないことしか書かない

夏は死んだ

夏は死んだ。

そう言ったのはニーチェだったろうか。

今日はこの言葉の意味を

私なりに超訳していこうと思う。

 

さて、今日は唐突に寒さが訪れた。

そして東京では気温が

10℃を下回るほどであった。

つい最近までハッピーな

アロハシャツなんかを着ていた私だが、

今日そんな格好をしていけば、

確実に全身が凍りつき、

バナナで、いや、仏で釘が

打てるぐらいになっただろう。

もはや夏の死を受け入れざるを得ない。

 

では、夏の死とは何だろうか?

まず、ニーチェは夏に対して

非常に否定的な評価を下している。

夏の温暖さは人を解放的な気分にする。

だがそうなれば人は

害虫のように良い感じの海に群がり、

トロピカルココナッツジュースなんかを飲み、

堕落したアバンチュールを

楽しむことになるだろう。

これがニーチェの言う末人(まつじん)である。

 

だが、夏はその一方でアバンチュールに

ありつけない弱者を生むことになる。

そして彼らは強者に対して

怨恨の目を向けるのだ。

これがいわゆるルサンチマンである。

このように夏とは、

人々を堕落させる奴隷道徳であり、

それは退けられるべきものであった。

 

だが、今や夏は死んだ。

人々はアバンチュールを捨て、

他者によらない真の自己を

目指さなければならない。

これこそがニーチェの言う

力への意志であり、

それを成し遂げた者こそ

超人と呼ばれる存在なのだ。

 

とはいえ、それは楽な道ではない。

上からは人感センサー付きエアコンの

温かい風が襲ってくるし、

下からはこたつが人間を堕落させてくるだろう。

そして一度こたつの深淵をのぞきこむや否や、

こたつの深淵もまたこちらをのぞきこみ、

こたつに食われて死ぬ。

多分そういうことなんだと思う。

 

我々はそうした誘惑を断ち切らなければならない。

そして確固たる自己、超人を目指さねばならない。

そんなことを心に叫びながら、

私は今日こたつを出した。