だいたい日刊 覇権村

実益のないことしか書かない 毎日21時更新予定

お年玉について考える

 

皆さん、あけましておめでとう。

正月だ。

そして正月といえば、やはりお年玉だと思う。

だが、この言葉には不吉な響きがある。

落とす、というニュアンスが含まれているからだろう。

私はこの言葉にはナイーブだ。

私はこれまでの人生で

かけがえのない物をたくさん落としてきた。

この前も愛用のマグカップを

落としてこっぱみじんにしてしまったし、

新しく買ったノートパソコンは

システムがダウンし、動かなくなった。

もう何も落としたくない。

もう何も失いたくない。

今日はお年玉について考えよう。

 

さて、皆さんはお年玉との関係はいかがだろうか?

多分、もらう側の人は少ないのではないかと思う。

はてなブログを見ていると、

多くの人は大人のようだ。

もらう年齢ではなさそうである。

だが、お年玉をもらえないから

といって困ることもないだろう。

だが、もらう側でなく、

あげる側になるとしたらどうか?

我々はもう冷静ではいられない。

お年玉による巨額の財政赤字は、

お餅窒息インシデント、親族カムバックキャンペーン、

などと並び、お正月三大悲劇に数えられる。

一体どうしてこうなってしまったのだろうか?

お年玉は元々、玉を落とすだけの、

蹴鞠みたいな平安貴族的習慣だったのだと

私は考えている。

だが、幕末にペリーが来航し、

西洋からは資本主義を押し付けられ、

人心は荒廃した。

そして道徳は地に落ち、

子供たちは餓鬼道に落ち、

恥じることさえなく金品を要求するようになったのだ。

末法の世である。

だが、我々にはどうすることもできない。

とにかく、子供たちが集まりそうな場所には

近寄らないことが肝心だ。

だが、もし不運にも遭遇してしまったら?

慌てずに逃走経路を確認しよう。

そして目を逸らさずに、ゆっくりと後ずさることが大切だ。

もしくは死んだふりなんかもいいと思う。

そうでないと命を落とすことになる。

玉どころの騒ぎではない。

気をつけて欲しい。