だいたい日刊 覇権村

実益のないことしか書かない 毎日21時更新予定

ミスドと仏教

ミスタードーナツ

この言葉にはとても幸せな響きがある。

人々に多くのドーナツの恵みをもたらす 

ありがたき存在。

ドーナツ界のローマ法皇こと

ミスタードーナツのことである。

ミスド信仰の間口は広く、

世界中に多くの信者が存在している。

ミスド信仰が、世界三大宗教

1つに数えられるのは、

そのためだ。

 

だが、それだけではない。

ミスド信仰は、

仏教とも深い関わりがある。

少なくとも私はそうにらんでいる。

今日はミスドと仏教との関連について

考察してみよう。

 

何はともあれ、まずは

ドーナツを食べてみよう。

見て嬉しい、食べておいしい。

それがミスドのドーナツだ。

だが、その隠された意味を考えれば、

そう呑気なことも言っていられない。

たとえばドーナツには

なぜ穴があるのだろうか?

そして穴の中には何があるだろうか?

虚無だ。

虚無しかない。

これは間違いなく、

仏教の空の思想である。

この世は移ろいやすく、

その内実は虚無なのだ。

我々はいくら外面を華やかにしようと、

本質的には空っぽである。

だからこそ我々がドーナツの穴を覗くとき、

いつだって不安と恐怖に直面する。

多分そういうことなんだと思う。

 

また、ミスドを語る上で

無視できないのは、

飲茶(ヤムチャ)の存在だ。

そしてミスドの飲茶で欠かせないのは、

やはり汁そばだと思う。
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これは文字通り、

汁とそばだけのメニューである。

その発祥は間違いなく精進料理だ。

お寺のお坊さん達は精進のため、

このような質素な料理を開発した。

 

だが、お坊さんだって人間だ。

そばだけでは生きていけない。

たまには息抜きだって必要である。

そこで発明されたのが、

クレームブリュレアップルシナモンドーナツだ。
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さくさくの衣とふわとろのクリームが、

お坊さん達を包み込む。

 

しかし、これがくせ者だ。

もし我々が汁そばを捨て、

欲望のままにクレームブリュレアップルシナモンドーナツばかり、

食べるならば、

仏道から外れることになる。

そしてそのまま餓鬼道へと

まっしぐらである。

ドーナツへの執着は捨てなければならない。

 

だが、それさえクリアすれば万事解決。

あとはドーナツの輪が示す通り、

輪廻転生、悟り、そして解脱。

よくわかんないけど、

多分そういうことだ。

 

長々と書いてしまったが、

要するに言いたいことはただ一つ。

ミスドのドーナツはおいしい。

それさえわかっておけば大丈夫だ。

極楽浄土待ったなしである。