だいたい日刊 覇権村

実益のないことしか書かない 毎日21時更新予定

節分への思い

節分から数日が過ぎた。

皆さんは豆を撒いただろうか?

鬼を放逐したぐらいで

いい気になってはいないだろうか?

もちろん私は大人なので、

そんな子どもだましなイベントには

参加しなかった。

だが、本当は豆を撒きたかった。

存分に撒き散らしたかった。

なので今日は代わりに

節分への思いを書き散らそうと思う。

 

まずは節分の意味について

考えてみよう。

節分という言葉を見てみてほしい。

節を分けると書いて、節分。

意味が分からない。

次に行こう。

 

恵方巻

これも最近では節分によく売られている。

しかし、昔はこんなのあっただろうか?

どうも作られた伝統という感が否めない。

また、恵方巻は大量の売れ残りが

よく問題となっている。

無理もないことだと思う。

きゅうりなどという鈴虫の餌を

使用しているのだから当然だ。

私はきゅうりに対して

深い恨みがある。

が、本題から外れるので、

それはまた別の機会に書こう。

 

続いては柊鰯(ひいらぎいわし)。

あのとげとげした柊の枝葉と、

鰯の頭を組み合わせたものだ。

このエキセントリックな組み合わせを

不思議に思った方も多かろう。

その由来を推察すると、

多分寒さで正気を失った若者が

鰯に柊を突き刺したのが始まりだ。

それを見て、やはり寒さで

正気を失った近隣住民が

「かっこいいいかもしれない」

と、真似をし始めて、

広まっていったのだと思う。

特に意味のない習慣だ。

 

とまぁあれこれと書いてきたが、

節分で一番重要なのは、

やはり豆撒きであろう。

これまで書いたところは

何の価値もない情報なので、

忘れてほしい。

 

豆撒きの作法だが、

豆を撒くときに人はよく

「鬼は外、福は内」

と叫ぶ。

これはその名の通り、

鬼を外に放逐し、

福は内におびき出そう

という思想のことである。

だが、鬼でも福でもない者は、

内と外の狭間で永久にさまようことになる。

みだりに口にしていい言葉ではない。

 

ところで、豆撒きに使用する豆は

一体何がいいだろうか?

玄人は豆にこだわるとよく言う。

豆にはこだわろう。

具体的に言うと国産の大豆を

用いるのが望ましい。

もしかして外国産の大豆なんかを

使っていたりはしないだろうか?

そんなことをしているから、

鬼に付け入られ、

自宅への侵入を許してしまうのだ。

もっと気を引き締めよう。

 

次に豆の撒き方だ。

撒く時はなんというかこう、

手首のスナップを利かせて

素早く投げると良いと思う。

そうすると地味に痛い。

鬼はこういう地味な痛みを嫌うものだ。

そうすれば鬼の間で、

「なんかこの家、感じ悪い・・・」

そんな悪い噂が立ち、

鬼が近寄らなくなるという寸法だ。

 

豆は国産であれば

市販のもので構わない。

時々、豆をゼロから

育てようとする人もいる。

そこまでしなくてもいい。

だが、強迫観念に駆られた人の気持ちは、

それでは収まらないだろう。

そんな方は農林水産省が出している

大豆コンバイン収穫マニュアルを

参照してほしい。

http://www.maff.go.jp/j/seisan/ryutu/daizu/d_combine/index.html

ここまでやれば鬼が

人海戦術を取ってきたとしても

駆逐することができるはずだ。

 

それでは話をまとめよう。

節分の極意。

それは

「国産の鬼には、国産の豆」

これに尽きる。

是非参考にしてみてほしい。

 

ただしアークデーモン

残虐なオーガといった外来種は、

外国産大豆でも可。