だいたい日刊 覇権村

実益のないことしか書かない 毎日21時更新予定

読書感想文の思い出 『森は生きている』

お題「読書感想文の思い出」

みんなは読書感想文を

覚えているだろうか?

きっと多くの人は

苦しんだ経験があると思う。

こいつは夏休みの宿題の定番だ。

毎年多くの小学生が

犠牲となっている。

かくいう私も小学生の時、

読書感想文を書かされた。

私は小学校時代、

国語が大の苦手だった。

とりわけ最も嫌いだったのが作文だ。

今でこそ毎日、こんな

ぴよぴよな文章を上げて

悦に入る私だが、

その頃は作文が

苦痛で苦痛で仕方がなかった。

「自由に書け」などと言われても、

途方に暮れるしかない。

「自由に」と言われても、

一体何を書けばいいのか?

ドッジボールと、

牛乳キャップ集めにしか

興味がない単細胞生物に、

書くべきことなど何も無い。

そもそも自由とは一体何だ?

考えれば考えるほど、

わからなくなる。

 

さて、その年の宿題は、

課題図書が指定された。

それらは環境に関わる本ばかりだ。

担任の教師は、

日々、酸性雨フロンガスへの

怒りを露わにするだけの哀れな男だった。

そんな環境テロリストおすすめの本が

楽しいわけがない。

 

また、読書感想文の分量も定められた。

その数、最低原稿用紙5枚以上。

これは当時の私の感覚からすると、

半永久的という意味である。

死ぬしかない。

 

その年に私がチョイスした本は、

『森は生きている』

だった。

選んだ理由は、たまたま近くにあったからだ。

最初の2行で挫折した。

森は生きている。

だが、私はもう死んでいる。

 

結局私は夏休み最終日、

すべてのエナジーをつぎ込んで、

まえがきまで読破した。

我ながらよく頑張ったものだ。

そして数行にも及ぶ

長大な読書感想文を創造した。

それは大体こんな感じだ。

 

森は生きていることがわかった。

森はすごい。

木を切ると環境にわるい。

紙も環境にわるい。

森がもったいないので、

1枚でやめます。

 

そんなことを書いて提出した。

 

翌日、私は職員室に呼び出された。