だいたい日刊 覇権村

実益のないことしか書かない 毎日21時更新予定

サッカーが教えてくれたこと

世は今まさにワールドカップ真っ盛りらしい。

私も連日視聴しており、

何やら人類が球体を

追いかけているらしい、

というところまでは把握している。  


さて、そんな私がサッカー人生を

歩み始めたのはかなり昔のこと。

それは小学校の頃だった。

あの頃はみんなで仲良くサッカーをしたものだ。


だが、そんな我々にある日、転機が訪れた。

山崎君の勢い良く繰り出したシュートに、

クラスメイトの1人が直撃。

そしてそのまま1撃で

ノックアウトされたのだ。

これを見て我々は思った。

「これだ!」

わざわざゴールにボールを

蹴り込むからまどろっこしい。

こうやって相手チームのメンバーを

全員戦闘不能にしてしまえばいいのだ。

ゴールにはその後ゆっくり入れればいい。

こうしてその日、我々の間でサッカーとは、

敵にシュートを叩き込んで

沈黙させるスポーツと化した。  


だが、これで終わりではない。

敵を倒すのが目的であれば、

わざわざボールを蹴るなんて動作は無駄だ。

普通に投げて当てれば良いではないか。

そういうわけで1時間もしない内に、

ハンドも合法化されることになった。


とはいえ、ボールを当てたとしても、

いつも一撃で倒せるとは限らない。

それどころかむしろ一度当てると逆上し、

報復の連鎖が始まることになった。

そしてエスカレートした群衆は、

ボールを使うという手間も省略し、

プレイヤーにダイレクトアタックを

試みるようになった。

だいぶ規制緩和と自由化が進んだものである。


しかし、ここまでくると、

果たしてサッカーと呼べるかどうかも

危うくなってきた。

もはやこれはサッカーではない。

ただの乱闘だ。

無法地帯と化したフィールドに、

フーリガンめいた群衆の争いが、

繰り広げられるだけである。


そして当然のことながら、

こうした少林サッカーの楽しみは

すぐに薄れていった。

そこで我々は思いついた。

「そうだ、ルールを作ろう!」 

こうしてサッカーへの再評価が始まった。

その後、様々なルールが思い出され、

校庭に法と秩序がもたされた。

そしてサッカーは、

「嫌いなお友だちへのシュートは2回まで」

という元の紳士的なスポーツへと戻っていった。

楽しい遊びにはルールが必要なのだ。

我々はサッカーをする中で、

そうした大切なことを学んだのであった。


翌日。

またしてもルールは崩壊。

その混乱の中で私は黄金の右足を痛め、

サッカー界から引退した。

以来、サッカーにはほとんど触れていない。