だいたい日刊 覇権村

実益のないことしか書かない 毎日21時更新予定

トマト ~好きと嫌いの狭間~

私はトマトが嫌いだ。
いや、正確に言おう。
私は生のトマトが嫌いだ。
あのみずみずしい感じの味が苦手である。

だが、生じゃなければどうか?
トマトが
「果たして自分は本当にトマトなのだろうか?
自分とは一体・・・」
アイデンティティクライシスを起こすぐらい、
加工し尽くされれば話は別だ。
ケチャップなどのように、
自我を失ったトマトはうまい。
私でもおいしく食べれる。

では、トマトが自我を保てるかどうかの
境界はどこにあるのだろう?
今日はそれを考察してみようと思う。


まず、生の1個まるまるのトマト。
論外だ。下がりたまえ。


・スライスされたトマト
これもダメだ。
全然おいしくない。
トマトからも、
「身を切らせて骨を断つ」
という闘争心を感じる。
こいつは危険だ。

もっと自分に悩め。
自分のあり方に疑問を持て。
そうでなくてはお前は
いつまでもトマトのままだ。


・トマトピューレ
これはもうトマトじゃないだろう。
そう思って油断すると、
痛い目を見ることになる。

一口食べて見ればわかる。
こいつはたしかに身体は失った。
だが、まだソウルは失っていない。
これでは食べることなど到底できない。
もっとトマトを精神面で破壊しなければ。


ハンバーガーに入っているトマト
一見すると、さっきのスライストマトと
同じように見える。
だが、状況は全く異なる。

今回のトマトは、バンズとパティという
強力な個性を持つ超大国に挟まれている。
果たしてそれでもお前は
自我を保っていられるだろうか?

この状況は、いわば
ナチスドイツとソビエト連邦に挟まれる
ポーランドのような存在だ。
どうあがこうと、滅びは免れ得ない。

いや、バンズがファシストで、
パティが共産主義者だと
非難しているわけではない。
あくまで比喩表現だ。

ともあれ、これでトマトは終わりだ。
もう心が死んでる。
気持ちで負けてる。
つまり食べれるトマトということだ。

どうやらここらへんが境界線だろう。
だが、ついでにもう少し先へ
進んでみようじゃないか。


・ケチャップ
ここらへんになってくると完全に食べ頃だ。

トマト 「私はどこ?ここは誰?」

と、自我も言語中枢も崩壊し始める。
私のようなトマト嫌いでも、
無理なく食べれるようになる。


・ミートソース
トマト「��繝励Ο繝昴�繧キ繝ァ繝翫Ν」

ここまで来たら完成だ。
もうこいつはトマトではなく、
我々の仲間だ。
おいしく味わおう。