だいたい日刊 覇権村

実益のないことしか書かない 毎日21時更新予定

白河の歴史

今日は白河へ行ってきた。
北関東にあるマイナーな駅で、
知る人はほとんど誰もいない。

用事で行ったが、
取り立てて語ることは
何もなかった。

しかし、帰りに
気になることがあった。

それは、隣駅に
新白河駅というのが
あったことだ。 

旧白河と新白河

様々な因縁を考えさせられる。

今日は両者の歴史について、
需要は全くないし、
私も全く知識がないが、
想像の範囲で書こうと思う。


白河の歴史は長い。

古くは縄文人が南部から、
北関東への北伐を開始する
ところから話は始まる。

彼らが今の白河の地に
辿り着いたのは冬だった。

近くに流れる川には、
蝦夷あたりから流れてきた
流氷と雪が散見された。

温暖な南関東で暮らしていた
彼らは初めて雪を見た。

見たことのない真っ白な美しい川。

それが白河の語源だ。


彼らは白の美しさに魅せられた。

白河の特産品は、
砂糖と塩と雪合戦だ。

これらを県外に輸出し、
外貨を稼いだ。

しかし、しばらくすると、
砂糖派と塩派で世論が分裂し、
内戦が勃発した。

「多くの血が流され、
白河は真っ赤な河となった」

と、新井白石が『読史余論』に
記している。

新井白石の白も、
白河と何らかの繋がりが
あるらしい。

この戦いで敗れたのは、
砂糖派の方だ。

砂糖だけに詰めが
甘かったのだろう。

彼らが難民として外へ逃れ、
そして作ったのが新白河だ。

旧白河と新白河の抗争は、
その後も激烈だった。

戊辰戦争の時は、
旧白河と新白河で、
幕府側と維新政府側に
別れて戦うという悲劇も起きた。

そして、戦が起きるたびに、
白河はまた赤河と
なるのであった。

しかし、両者も長き戦いに疲れた。

そこで彼らは両者が歩み寄れる
新しい白産業に手を出した。

それが生糸産業だ。

絹の織り成す美しい白は、
彼らの原初の風景である
白河のイメージに完全に合致した。

蚕はまさに文字通り天の虫。

両者の架け橋となる存在だった。

それからは両者ともに
手をたずさえて、
発展を遂げてきた。

高度経済成長期には、
白物家電の生産も
行っていたことは
あまりにも有名な話だ。

そして、ここまで書いたところで、
今日行った場所は白河ではなく、
白岡だったことを思い出した。

白岡の歴史は、そうだな・・・。

まぁ、白い岡があったんじゃないだろうか。

 

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