週末、友人のT氏の大掃除を手伝った。
どうやら捨てたい物がたくさんあるが、
どれも思い出が詰まっていて
捨てられないようだ。
「第1親衛思い出戦車軍の
火力が凄いので、
思い出とは無縁のぶっだに
支援を頼みたい」
とのことだった。
よくはわからないが、
大変なんだと思う。
というわけで、掃除を手伝い、
思い出ごとゴミ箱へ捨てて
いくことになった。
あれ、前も似たような
ことやったような・・・。
※6月2日の日記を参照
というわけで、無慈悲な大掃除が始まった。
T 「あ、このゲーム、昔遊んだな~」
私 「過去は過去だ(ポイッ)」
T 「これ中学の時に買ったコップなんだよ」
私 「前を向いて生きろ(ポイッ)」
T 「これは死んだおばあちゃんから
もらったものだ。
いらないんだけど捨てられなくてな」
私 「死者は蘇らない(ポイッ)」
T 「この問題集、受験の時に使ったな。
何度も同じところを間違えた」
私 「覆水盆に返らず(ポイッ)」
このように思い出の詰まった
陽だまりの部屋は、
一瞬にして記憶の屠殺場と化した。
残酷だが、誰かが
やらなければならない仕事だ。
だが、その甲斐あって、
荷物はほぼ半分になった。
それは1日にして半分の思い出を
失ったことと同義ではあるが。
友人はとても身軽になったと言っていた。
思い出は重い足枷。
逆に記憶喪失になれば、
空も飛べるかもしれない。
もし心や体に重みを感じたら、
一度思い出を破壊してみると
いいかもしれない。
取り返しがつかない
リスクと引き換えに、
軽やかな精神が手に入るかもしれない。