太宰治がブログを書いたら

恥の多いブログを書いてきました。

自分には、ブログというものがどういうものか、

見当がつかないのです。

初めてブログを見たのは、

よほど大きくなってからでした。

ブログというのは、最も気の利いた

サーヴィスのように思ってきました。

しかし、それは収入を得るためだけの、

すこぶる実利的なものに過ぎないのを発見して、

暗然とし、悲しい思いをしました。

 

また、自分は、ブログのネタというものを

知りませんでした。

それは自分がブログのネタに事欠かないほど

想像力豊かという意味ではなく、

自分にはブログのネタという感覚が

よくわからないのです。

へんな言い方ですが、

ブログのネタがあっても

気づかないのです。

おいしいものや、楽しかったこと、

不思議な出来事に出くわしたら、

とりあえず書くことができたと呟いて、

ブログを書いてみるのですが、

やはりブログのネタが

どんなものなのか、

ちっともわかっていなかったのです。

 

自分だってブログを書くのですが、

それはブログのネタがあるから

書いたというわけではありません。

ブログのネタを見つけないと死ぬ、

という言葉は、自分の耳には、

ただイヤなおどかしとしか聞えませんでした。

その迷信は、しかし、いつも自分に

不安と恐怖を与えました。

 

つまり自分には、ブログというものが

未だに何もわかっていない、

ということになりそうです。

自分のブログの観念と、世のすべての

人たちのブログの観念とが、

まるで食いちがっているような不安、

自分はその不安のために夜々、

呻吟し、発狂しかけた事さえあります。

自分は、いったいブロガーなのでしょうか。

 

そこで考え出したのは、道化でした。

人間に対する恐怖、不安、憂鬱を

胸の中にひた隠しにして、

自分はお道化た変人として、

次第に完成されて行きました。

必死のお道化のサーヴィスをしたのです。

そして自分は、いつのまにやら、

一言も本当の事を言わない子に

なっていたのです。

 

しかし、そうしているのも息苦しくなり、

とうとうブログを止めますと言って、

しばらく更新しませんでした。

ですが、そうして止めてみると

今度は寂しくなり、

人を恐怖しているのに思い切ることができず、

結局ブログを再開してしまうのです。

 

次に自分は注目を引こうと、

死のうとブログに書いてしまいました。

するとたちまち心配するコメントがつき、

ほっとして、そうしてゆったり落ちついて、

その時の追憶を、いま書くに当っても、

本当にのびのびした楽しい気持になるのです。

 

ですが、それでは段々足りなくって来ました。

自分は毎日毎日、死ぬ、今度こそ死ぬ、と

ブログに書き、

みんなの気を引こうとしたのです。

ですが、そうしているとみんなも

疲れてしまい、やがては心配も

してくれなくなるのです。

 

自分はトゲトゲした陰鬱の気流にまみれ、

とうとう本当に自殺をしてしまいました。

しかし、自分は死ねず、

心中相手だけが死んでしまったのです。

 

自分は本当にみっともなく、

恥にまみれた罪人でした。

ですが、同時に書くことができたと

嬉しい気持ちも生まれ、

あんなに恐れていた他人の気を引くために

ブログに書くことをやめられません。

 

そして、ブログは、炎上したのです。

いまはもう自分は、

罪人どころではなく、狂人でした。

いいえ、断じて自分は狂ってなど

いなかったのです。

一瞬間といえども、狂った事は無いんです。

けれども、ああ、狂人は、

たいてい自分の事をそう言うものだそうです。

 

最近はYouTubeも始めました。

人間、失格。

もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。