今日は先ほどまで友人のH氏と
飲んでいた。
久々に話したのでもうこんな時間だ。
なのに私は今日の記事を
まるで考えていなかった。
私 「ヤバイ、もうこんな時間だ。
今日は何について書こうかな。
そうだ、試しに思いついた単語を
何でも言ってみてよ。
それを書こう」
友 「じゃあ難しいやつにするぞ」
私 「何でも言うといい。
私はブロガーだ。
どんな物だってブログの記事にしてみせる!」
友 「んー、じゃあ泥棒と哲学で」
私 「・・・やっぱりもっと簡単なのにしない?」
友 「何でも書くとは何だったのか」
私 「弘法は筆を選ばず。
しかし、ブロガーは書くテーマを選ぶ。
・・・この前の休日の話とかじゃダメ?」
友 「誰でも書けるじゃん!
もうなんでもいいよ」
そういうわけで今日は
この前の休日のお話。
さて、その日は友人の論文が
完成したお祝いに、
ケーキを買っていった。
ケーキは小さいのを何種類か。
私は自分の好きなケーキを選んだ。
食べるケーキは、じゃんけんで
勝った人から選ぶことになった。
幸いじゃんけんは私が勝ち、
好きなケーキを選んだ。
私 「じゃあ私はチーズケーキ」
友 「あー、それ俺も欲しかったのだが」
私 「もう私のものと決まった。
残り物を選ぶがいい」
友 「お祝いとは一体何だったのか」
友人がそのケーキを取った方が良い。
そんなことを考える人もいるだろう。
だが、一度持ち主が
決まった物を取るのは泥棒である。
私は大切な友人を
泥棒にするわけにはいかなかった。
なので心を鬼にして拒んだ。
このようにして私は
一番好きなケーキを手にした。
だが、一番好きなケーキを得たら、
二番目に好きなケーキも
欲しくなるのが人情だ。
しかし、そちらは友人に取られてしまった。
私は物欲しげにそれを眺めた。
友 「やらんぞ」
私 「こちらだって」
我々はお互いに虎視眈々と
相手ケーキを狙う。
一次大戦前のバルカン半島のような
緊張感が漂った。
殺伐である。
だが、こうした状況には、
もっと根本的な問題がある。
かつてフランスの哲学者 プルードンは
「所有とは盗みである」
と説いた。
その意味は、
「人が色んな物を
自分の物にしてしまうからいけない。
物はみんな共有にして、
平等に分けよう」
そんな社会主義思想だ。
ケーキも私有制が悪い。
ケーキを持つ者は泥棒である。
ケーキは社会主義の方が良い。
そうでないと人間関係が崩壊するのだ。
ちなみに友人が選んだケーキはチョコケーキ。
哲学者 ジャン・ポール・サルトルが
愛したケーキである。